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人と自然を考える会
所在地
滋賀県東近江市八日市金屋2丁目6番25号
東近江市立八日市図書館内

TEL:0748-24-1515
FAX:0748-24-1323
 
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地元学を知る

「地産地消で地域の再生を」

 地元学であるものさがし

(2006年10月9日(月・祝) 愛東福祉センターじゅぴあ)
講師:結城登美雄

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結城顔写真 ○結城登美雄 さん(ゆうきとみお:民俗研究家)

1945年、山形県生まれ。民俗研究家。山形大学卒業後、広告デザイン業界に入る。(有)タス・デザイン室取締役、宮城教育大学非常勤講師。宮城県宮崎町「食の文化祭」 、同県北上町での「みやぎ食育の里づくり」などのアドバイザーとして地元学に取り組んでいる。2004年芸術選奨文部科学大臣賞受賞(芸術振興部門)。

主な著書:『山に暮らす海に生きる』(無明舎出版)、『スローフードな日本』(『増刊現代農業』など多数。


野村:講演会を始めさせていただきます。私は「人と自然を考える会」の野村と申します。今日は進行役をつとめさせていただきます。よろしくお願いします。

 今日はご案内の通り、私ども「人と自然を考える会」、それから東近江市立の各図書館が行なっております文部科学省社会教育活性化21世紀プランの委託事業の一つとしましての、こういった催しをさせていただいております。たくさんお集まりいただきまして本当にありがとうございます。

 私どもの東近江市は2度の合併を経まして、12万の町になりました。人口では遠く大津には及びませんけど、農業生産の面ではトップの町となりました。そういった意味で市の方でも農業の振興等に一生懸命取り組んでおりますし、特に地産地消推進室というのを設けましてそういった面での取り組みも一生懸命に進めております。

 また、食育につきましても市と教育委員会が連携をいたしまして、今後の取り組み等いろいろ検討し、あるいはもう実践に入っている部分もございます。そういった中で、この地産地消で地域の再生をということで、本日はわざわざ仙台から民俗研究家の結城登美雄先生をお招きいたしました。先生につきましてはご案内のビラ等にも書かせていただきましたので、ご承知の方も多いかと思いますけれども、昭和20年、1945年に山形でお生まれになりまして、山形大学をご卒業になりまして、広告デザイン業というのをおやりなんですけれども、そういった面もさることながら先生は今日ご講演いただくようなテーマにつきましてはわが国の第一人者として、本当に大活躍をしておられます。

 宮城教育大学の非常勤講師として、学生さんに新しいこういった面での取り組みの勉強もしていただいておりますし、それからご自身でも農業をやっておられるという方、そして東北地方を中心に全国でこういった面での本当の企画・実践をやっておられる方でございますので、今日はいろんなお話の中で全国の事例も紹介していただきながら、我々が今後地産地消あるいは食育、あるいは地元学を考える大きなヒントをいただけるのではないかということで期待をしております。

 ただ今から先生にお話ししていただきますが、先生のお話の後、質疑応答というよりも先生もみなさんといろんな話がしたいとおっしゃっておりますので、そういう時間もたくさん設けております、どんどん先生との交流・対話をしていただくというのが本日の狙いでもございますので、どうかよろしくお願いしたいと思います。

 それでは先生、よろしくお願いいたします。

結城:どうも、結城と申します。後ろ、聞こえますか? 仙台から来ました。滋賀は時々お邪魔するぐらいで詳しくは分からないんですが、「人と自然とを考える」という活動をなさっているということで、今日は主に、地産地消あるいは食育についてお話をさせていただくんですが。食育はこうすればいい、とか地産地消はこうだ、っていう考え方については、みなさんそれぞれお持ちだと思います。私のやってることもその一つなんですが。僕は考え方よりは、どちらも人の営みの中にある、日常の中でやっぱり積み上げていくべきものであって、国の方では食育国民運動とかやってますけども、私たちは日々食べていますので、その食べている現実・現場の中から食育を考えたり、あるいは地産地消を考えていきたいということなんです。

 僕はこの13年ほど東北の10軒、20軒、30軒の小さな集落ばっかりを、ウロウロ、ウロウロ訪ね歩いてきました。僕も本を読んで勉強しようと思ったんですが、なまけものなんで、結局は600ほどの村の3000人ぐらいのおじいちゃんおばあちゃんに直接お話を聞いて、それの耳学問だけであります。ですから、今日の私の話も、ほとんど東北のおじいちゃん、おばあちゃんに教えてもらったことの受け売りでありまして、いわばそういう何年も何年も積み上げたものの知恵を私がいただいて、代わりにお伝えするということになるだろうと思います。

 自然っていうことについては、呑気な都市の人は大切だとか、あるいはよいものだとか、いろいろおっしゃるんですけども。私は宮本常一さんという方にたくさん教えていただいたことを、自分の糧の一つにしてるんですが、昭和39年から40年にかけてが、多分40年前後が、日本の国のいわば大きな転換点だったと思います。農業のやり方も変わっていきますし、いろんなものの生活の仕方が変わっていくのが、政治経済的には昭和20年8月15日辺りが境い目だと言われていますけども、生活が大きく変わっていく、価値観が変わっていくのはやっぱり40年前後だと。その時に宮本さんは戦前からずっと歩いて、生涯に4千日くらい、旅を続けてらしたようであります。

 その頃にはみんな農村を捨てて、豊かさを求めて都会に出て行くという動きが農山村に顕著になりました。僕はこの頃思い出す言葉が…ちょっともうスライドやりながら、お話させていただきますけど、これは山形県の大蔵村っていう所なんですが。棚田っていうのは、みんな大事だから保全しようという棚田保全運動なんかも盛んでありますけども、ちょっと皮肉な言い方をすれば、たまに行ってみる棚田は美しいんですね。だけど、そこを実際に耕し、お米をつくっている人たちにとっては必ずしも美しいというわけではなくて、むしろ大変さもつのっているわけでありますが、僕らは目の段階だけでそれを受けとめてしまっているんですが。

 宮本常一さんは昭和40年ぐらいの農山村は、「自然が寂しい」と言ってたんです。自然が寂しいと言った人っていうのはあんまりいないんですよ。で、これがもし、美しいとするならば、ここをちゃんと刈り払ったりしているからですね。人が消え、田んぼから山から畑からいろんな所から人が消えていって、村が寂しくなっていくことを、村が寂しいと言わずに「自然が寂しい」とおっしゃった宮本さんの気持ちが少し、僕も61になりますけど、この頃感じます。

 だけど、宮本さんは、この後に、「しかし」って言ってるんですね。「しかし、そこに人の手が加わると」、「人の手が加わると暖かくなるんだ」って言っている。僕らが今いろんな地域に求めているもの、時代に求めているもの、それもやはり一つの暖かさではないか。都市だって寂しいんではあるまいか、東近江市だって寂しいんではあるまいか。家族だって若者だって、大人だって子どもだって、もしかしたら寂しいんではあるまいかと僕は思うんです。その寂しさっていうのを、人間が長く耐えることは、私は難しいような気がします。そこにどんな手をかければ暖かくなるのか、という人の手のことが今、実は問われているのかなと思うんです。で、その暖かいものを求めて歩いてみようというのが宮本さんの旅というものでありました。その宮本さんが4千日旅に生き、民家に千日泊まって16万km歩いて、歩いた足跡を白地図に塗れば、白い地図が真っ赤に染まるくらい歩きまわったんだ。

地元学とは?

 宮本さんは、私たちが何かものを考える時に…地元学なんてのは私によく質問が、「地元学って一体なんですか?」とか説明を求められるんですね。こうこうこういうものなんですよ、と言えば納得していただける人もいらっしゃるかもしれないけれども、私はあまりうまく説明できないんです。そうじゃなくて、実は、考え方も大事なんであります。東近江はこれからどういうふうに地域をつくっていったらいいか、そういう考えをまとめる作業を、行政の方、いろんな方々のお力でなさってると思いますが、これまではどのような積み上げをしてきたのか、営みだったのか、その営みの中にこそいろいろ困難さもあるはずだし、あるいはこうありたいという姿も、答えもあるような気がするんですね。その声に耳を傾ける、地域の声に耳を傾ける。あるいは地元の声に耳を傾けるっていうことを、僕は地元学と呼んでいます。傾けないことには聞こえてこないんですね。そこに耳を傾ける前に、なんか地元学はこういうもんだ、というふうなことを覚えて、こうやればよいという、そういうものでは僕はないような気がします。

 もっと言うならば、どっかにここに、一本の木があります。小さな木です。たとえば、ここ、ここ、ここ。自然に生えたものかもしれません。だけど、少なくともこれは違うんです。明らかに人が植えたわけであります。そういう木が、あちこちにあります。で、この木は誰がなぜ植えたんだろうと考えてみること。そうすると、ここの場合はそうじゃないかもしれませんけど、こういう所を上がってった時にですね、下には降ろしませんから刈ったものを上げていきます。道路こっち側にありますから。この辺で汗かくんですよ。ビショビショになるんです。その時に、そこでこう一旦腰をおろして、汗をぬぐって、カンカン照りのときに、ほっと一息をつく。そう思ったあるおじいちゃんが植えたものなんです。俺だけではなく、この20何軒でやってる田んぼのみんなが汗をかくだろう、その汗をかいた時に涼む場所が必要だと思って一本の木を植えたんです。そのことは後から来た人は…

 ここら辺に本当は実は、かつてもっと大きな木があったそうであります。ただ田んぼがよくなくなるんで、日当たりが悪くなるんで、それは伐ってしまったというふうにおっしゃってましたが。それでもまだこの辺で、一服する場所に木を植えて、そういう木を後から来た人が、「あっ」と気づくんですね。ああ、ほっとしたなあ、と思った時にこういう木を誰が植えてくれたんだろうと考えるわけです。そして、そう気づいた人が俺はどこにどんな木を、何のために誰のために植えたらいいだろうと考えるのが、私は地元学だと思っています。地域の声を聞き、地元の声に学んで、地元の生き方に学んで、自分はこの村をよくするために、この地域をよくするために何ができるかと考えてみることが私は地元学だと思っています。

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